「目指す希望を持ち続ける」

              ヘブライ人への手紙61320

                                 水田 雅敏

 

キリスト教の歴史が始まってから3世紀の間、教会は迫害に耐え続けていました。厳しい時にはローマを中心にして「カタコンベ」と呼ばれる地下の墓地に潜んで、そこで礼拝をしていました。

あるカタコンベには何かの金具で石に刻んだような図柄が残っています。それは稀なことではなくて、しばしば見られるものでした。

その一つは魚です。魚という言葉をギリシア語で書いて、その綴りに現れてくる文字の一つ一つを頭文字として単語を綴っていくと、「イエス・キリスト・神の子・救い主」と書くことができるのです。逆にいうと「イエス・キリスト・神の子・救い主」というギリシア語を書いて、その頭文字だけを取って連ねると、魚という文字が浮かび上がってくるのです。それは初代の教会で暗号のように使われた信仰のしるしでした。

もう一つの図柄は錨です。錨がなぜ用いられたかというと、その軸の所に十字があるからです。迫害が厳しい時には十字架のシンボルを使うことも許されなかったのです。ちょうど日本のキリシタン迫害の時、マリア観音を造って、一見観音像のようでありながらマリアとして崇拝した彫刻を造った人たちがあったのと似ています。十字が入っている図柄に十字架を隠したのです。

しかも、なぜそのときに、十字の形が入り込んでいる図柄はほかにもあるにもかかわらず錨だったかというと、今日の聖書の6章の19節に「安定した錨のようなもの」とあるからです。これに基づくのです。「その錨に支えられて生きるときにわれわれは波風に耐えられる。どこにも流されることのない舟に似た平安な日々を過ごすことができる。」迫害のもとにあって、そのような信仰を言い表わしたのです。

特に心に留めたいのは、この錨のしるしがしばしば柩に刻まれたということです。当時は石の柩が多かったようです。

私たちの住む日本では柩の高いものは100万円も200万円もするそうです。杉の柩よりも檜のほうが高いし、それに凝った木彫りを施すともっと高いようです。しかし、そこに何を彫るのでしょうか。そのように一生懸命に彫ったところで、二、三日して焼かれてしまいます。それにそんなにお金をかけることにどれだけ意味があるのかと思います。

ただ、初代の教会の人たち、迫害に耐えて生きた人たちだったならば、そんなにお金をかけることはないかもしれませんけれども、自分の親しい者の遺体を入れた柩のどこかに、釘一つ拾ってきても錨の姿を刻み込んだに違いないと考えることができるのです。それは死を超えて確かなものに私たちは生かされているのだということです。

こうした強い信仰の支えとなった御言葉が今日の聖書に書かれていることを、私たちはまず覚えたいと思います。

その19節の言葉がここではどのような関連で語られているのか、まず18節から読んでみましょう。「それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。」

18節に「世を逃れて来たわたしたち」とあります。

これについてはこう考えてくださるとよいと思います。この手紙を読むときに私たちにとって大事なことは、これが本来、説教だったということです。説教だったというのは、これが礼拝において語られた言葉であり、礼拝において読まれることを求めている言葉だということです。今ここでです。そういう言葉を今私たちは読むのです。皆さん自身がこの言葉を聞くのです。

そのときに、「逃れて来た。出て来た。あるものを避けて来た」と聞くならば、これはよく分かることだと思います。「いろいろなものを捨てて来た」といってもいいと思います。「日常の生活の場所から離れて来た」といってもよいと思います。

しかし、さらに大事なことがあります。それは、ここに来たのは、逃れることが目的だったのではなくて、「目指す希望を持ち続ける」という願いのゆえにこそここに来たということです。

私たちは積極的な求めがあるからここに来たのです。そのためにこそ、ここで力強く励まされるのです。

「二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです」とあります。「二つの不変の事柄」とは神の救いの「約束」と「誓い」を指します。神の救いの約束と誓いによって生きる勇気を与えられるのです。

私たちは毎日の生活の中でだんだん勇気を失います。確信が持てなくなります。肉体までそのために疲れ果ててしまいます。ですから、主の日が来ると、ここにそういうところから出て来て、目的をしっかりもう一度捕らえ直すのです。そのようにして私たちは希望に生き続けるのです。

迫害に耐えていた人たちは、その信仰のために、毎日の生活の糧を得ることが困難になるどころか命まで危なくなるという体験を重ねていました。そのときに、ようやくの思いで辿り着いた地下の墓地に入ってきて、暗闇の中で僅かの明かりを頼りに礼拝をします。そして、そこでお互いに錨の絵を描き合いました。それを壁に刻みました。自分たちがどんなに太いがっしりとした錨によって支えられているかということを確認したのです。

その安定した錨の確かさは何に根ざすのでしょうか。

19節に「至聖所の垂れ幕の内側に入って行くもの」とあります。

至聖所はエルサレム神殿の一番奥の場所です。そこに垂れ幕があって、その奥には大祭司といえども一年に一回しか入ることができない神聖な場所がありました。まして一般の信仰者などは一生の間そこに足を踏み入れるなどという畏れ多いことはできませんでした。  

けれども、この手紙の著者は言うのです。「われわれは違う。われわれは神の御前に踏み込んで行くことができる。われわれの錨がどこに打ち込まれているかといえば、神そのものに打ち込まれているのだ」というのです。

しかも、20節に「イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き」とあります。

至聖所には神がおられます。垂れ幕が架かっています。その奥に神がおられるかどうか本当は入ってみないと分からないというのではないのです。そこに錨が打ち込まれ、そこから錨がこちらに延びています。その錨が打ち込まれるときに主イエスが一緒に駆け込んでいてくださるのです。

しかも、私たちもまたそのあとについて入って行くことができるのです。われわれはそういう確かさの中に生きているのだというのです。しかも、死を越えてです。

ですから、迫害のもとで生きて、何もかも真っ暗闇の中で殉教した者の遺体をやっと手に入れた者がそれを葬ろうとするときに、そこでも錨を書いたのです。そうやって初代の教会の人たちは迫害に耐えたのです。教会はそのようにして生き続けるのです。

私たちの教会がここで見せているのはどんな姿でしょうか。慌てふためいている姿ではありません。錨にしっかりと繋がれている者の姿です。

 

私たちの日常の生活に触れる人たちが、そのような私たちの確かな歩みを見て、私たちのおろす錨が、この世のものにではなく、神の御前にあるキリストのおられるところに投げ込まれていることに気づいてくれる歩みだったら、どんなにいいかと思います。いや、私たち自身が、いつもそのことに新しく気づいて確かな歩みをすることができれば、どんなに幸いなことかと心から願うものです。