「祈り合う仲間」

        ヘブライ人への手紙131719

                                                                                                  水田 雅敏                                       

今日の聖書の17節でヘブライ人への手紙の著者はこう語っています。「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。」

この「指導者たち」というのは、今日でいう牧師であるか役員であるかは定かではありません。いずれにしても教会に対して責任を持つ者です。

「聞き入れ」という言葉があります。単に指導者たちのことを聞きなさいというのではないのです。聞いて、入れるのです。「聞き入れ」と訳されているもとの言葉は「説得する」という言葉です。それが受け身になって、「説得される」「聞き入れる」という人の心を表すようになります。

その次に「服従する」という言葉が書かれています。もしかすると、「服従」という日本語が私たちに与えるイメージは、あまり幸せなものではないかもしれません。ここに書かれている「服従」という言葉は「委ねる」という思いが込められているようです。とにかく有無を言わさず服従させられるということではなくて、委ねてその人のもとに立つのです。あるいはその人に信頼を寄せるからこそついていくのです。

指導するということの難しさは、説得することができるかどうかということと信頼を得るかどうかということに懸かってくるでしょう。しかし、その共同体にとって大事なことは、導く者が力があるだけではなくて、導かれる者も受け入れることを知らなければならないということです。そうでないと共に生きることは難しいでしょう。

ここで語られている指導者たちは何をするのでしょうか。

17節にこうあります。「この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。」

「心を配る」と訳されているもとの言葉は「目を覚まして」とも訳すことのできる言葉です。「寝ないで」ということです。「寝ずの番をする」ということです。

コリントの信徒への第二の手紙では使徒パウロが自分の眠らない務めについて語っています。例えば、コリントの信徒への第二の手紙の12章の27節に「しばしば眠らずに過ごし」と書いています。

なぜ眠らなかったのでしょうか。

ある人は、「単に心配で眠らなかったというのではなくて、眠らないで意図的に起きていて教会員のために祈り続けたのではないか」と言っています。

教会の歴史の随分早くから指導者たちは徹夜の祈りをしました。それが、もしかするとパウロまで遡るのかもしれません。人々が眠っている間に目覚めて祈り続けている者があるのです。

なぜそのように目覚めて心を配るのでありましょうか。

「神に申し述べる者として」そうするのだとヘブライ人への手紙の著者は言います。

この手紙の著者がこの手紙で語っていることの一つは旅する教会の姿です。教会は旅する神の民だというのです。どこに向かって旅をするのでしょうか。天に向かって旅をします。

やがて私たちは皆、神の前に行きます。イエス・キリストが来られる日を迎えます。そこで何が起こるのでしょうか。一人一人の歩みが神によって点検されます。しかし、その時、独りではないのです。指導者たちがその一人一人について弁護してくれるのです。それができるようになるために今既に目覚めて心を配るのです。

そのように弁護してくれる指導者者たちが神の前で喜べるようにしようとこの手紙の著者は言います。教会員のために申し述べる時に、指導者たちがためらったり困ったりしないように、いや、むしろ喜んで胸を張って申し述べることができるように、今から彼らの喜びの種になるように生きていただきたいというのです。

ある人はここでこう言っています。「ここであなたがたはイエス・キリストのことを思い起こすでしょう」。

確かにそうです。指導者たちは自分たちもまた大祭司イエスの執り成しによって支えられていることをよく知っています。大祭司イエスの御業と自分たちの祈りが一つになるような思いで教会員のために目覚めて心を配るのです。

18節にこうあります。「わたしたちのために祈ってください。」

指導者の一人としてこの手紙の著者は自分のための祈りを求めます。あとからついて行く者はその指導者のために祈るのです。私たちがついて行けるかどうかはこの人の説得力に懸かっているとか、この人が信頼できるかどうかはこの人の責任だというようなことを言い合うのではないのです。

指導者たちはもちろん目覚めて祈っています。祈りつつ心を配っています。そして、教会の仲間に改めて頼むのです。「わたしたちのために祈ってください。」

その良い実例があります。

日本のプロテスタント教会の歴史が始まった所は横浜です。日本のプロテスタント教会の信徒の第一号が出たのも横浜です。1861年、まだ徳川幕府の時代に宣教師たちが横浜に来ました。その宣教師の一人にバラという人がいます。

バラはまずお寺に入って日本語の勉強をし、当時はまだキリシタンが弾圧されていた時代でありますから、いつの日か伝道の自由が与えられることを期待して準備していたのです。

この時、バラの日本語の教師になったのは矢野元隆という人です。矢野は初め、別にキリスト教信仰に興味がなくて、頼まれて日本語を教えていただけでした。しかし、やがて聖書の翻訳も手伝うようになりました。

その矢野が病にかかります。結核だったようです。1865年の115日、遂に申し出て洗礼を受けます。バラにとっては日本での最初の受洗者です。

ひと月経って、矢野は天に召されます。その少し前にバラは矢野を見舞いました。矢野はバラにこう言いました。「私はもう死にます。私はイエスさまのところに行きます。先生、私は先に行って先生たちの話をイエスさまにしておきます。」

まだ伝道の道が開かれていなかったのでありますけれども、バラはこの矢野の言葉を聞いて、終生、日本に献身することを改めて決意したといいます。

その後、バラは日本に多くの教会を建てました。未だにその数を正確に把握できないようです。あまりにも活動範囲が広かったからです。バラは90歳近くまで日本に留まって伝道をし続けました。

矢野はたった一か月、日本の最初のプロテスタント教会のキリスト者として生きた人です。この人から私たちの信仰の歴史が始まりました。

矢野は指導者のために祈った人です。祈りながら天に召された人です。

ヘブライ人への手紙の著者は指導者たちがやがて神の前に立つ時に教会員のために申し開きをするのだと語っていますけれども、ここでは話は逆です。たったひと月しかキリスト者として生きなかった人がバラ先生のためにキリストの前に立つというのです。

このようにキリストの教会は導く者と導かれる者とが祈りを一つにするのです。

18節にこうあります。「わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。」

「わたしたちは明らかな良心に生き、立派にふるまいたいと願っているし、そうすることができると確信している。だから祈らなくていい」というのではないのです。「だからこそ祈ってほしい。だからこそこのわたしたちのために祈ってほしい」というのです。

この手紙の著者は最後に個人的な言葉を付け加えています。19節にこうあります。「特にお願いします。わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。」

 

あなたがたのところへ早く帰りたいというのです。何だか子供みたいです。けれども、幼子のように教会員を慕うこの思いこそまた指導者の中にある思いでしょう。そして、そういう心に生きる指導者を持つことができる教会もまた幸せだと思います。そして、それが私たちの教会の歩みであることを願いたいと思います。