救い主の誕生 

                               ルカによる福音書2章1~20節

                                                   水田雅敏

 クリスマス、おめでとうございます。皆さんの上に神の祝福がありますように。

 10節以下に天使の告知が書かれています。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 この「今日」というのは二千年ほど前のある日のことです。その日を正確に何年何月何日というように特定することはもはやできませんが、人それぞれに自分の誕生日があるように、イエス・キリストも歴史上のある時点にこの地上にお生まれになりました。それがここで言われている「今日」です。

 その日から新しい時が始まりました。神が私たち人間の生活の中に入り込んで来られるという新しい時が始まったのです。その日は確かに二千年前のある日のことですが、それと同じ出来事が今日においても起こり得るのです。それはイエス・キリストが再び生まれるということではなくて、私たち一人一人がイエス・キリストを自分の救い主として受け入れる時、そこにはクリスマスの出来事が起こっているのです。

 そのように「今日」という言葉を捉えるとき、「民全体」とか「あなたがた」という言葉も特別な響きをもって聞こえてきます。

 これらの言葉は直接的にはユダヤの人々のことを指していますが、この言葉の中には今これを聞く私たち一人一人も含まれています。この私のためにも、いや、この私のためにこそ、イエス・キリストは救い主としてお生まれになったのです。それは私抜きにクリスマスの出来事は起こらなかったということです。

 そこにはすべての人間に対する神の愛が表されています。神は御自身の愛をイエス・キリストに注ぎ込んで私たちのもとに送ってくださいました。そのようにして神御自身が来てくださったのです。イエス・キリストの誕生の出来事は実に神御自身の、この世への到来の出来事なのです。

 この神は今、私たち一人一人に向かって、「わたしの愛のうちに生きなさい。わたしがあなたと共にいるから平和のうちに生きなさい」と呼びかけておられます。

 神は私たちが誰であるかを問われません。私たちそのものが神の目当てです。私たちが自分の力だけではやっていけないことを誰よりも御存じの神が、私たちが自分を委ねることのできる相手として、イエス・キリストを送ってくださったのがクリスマスの出来事です。

 このことを神の御心のままに捉えるとき、静かな喜びが私たちの胸に広がります。そしてその喜びは一人一人に新しい生き方をもたらします。イエス・キリストは私たちの中に入って来られて私たちを新しく生きる者としてくださいます。

 

  私たちにとって大きな喜びは再出発できることです。私たちには神のゆるしのもとで新しく歩み始める機会が与えられています。どのような大きな傷を負っていても、イエス・キリストは私たちを立ち上がらせて、共に歩んでくださいます。私たちを新しく生きる者としてくださいます。そのことを新しく知る日、それがクリスマスです。