異なる人々と共に 

    使徒言行録2章1~13節

        水田雅敏

 

この箇所にはペンテコステ、聖霊降臨の出来事が書かれています。聖霊というのは今ここで生きておられる神の働きかけと力のことです。イエスが地上を去って、使徒たちは淋しく不安でした。そしてイエスのことを思い出して皆で集まっていました。その時、不思議な風が吹いてきました。イエスが今も彼らと共にいて、彼らを支えておられることを深く実感させる不思議な風、彼らを最も深いところで力づけ、新しい人生へと押し出していく不思議な風が吹いてきたのです。

その時、何が起こったでしょうか。使徒たちがほかの国々の言葉で話しだしました。その時、エルサレムにいた人々はユダヤで生まれ育った人たちばかりでなく、様々な国の出身の人たちでした。ですから、その言葉はそれぞれ異なっていました。その中で使徒たちはガリラヤ出身でアラム語を話す人々でしたが、その彼らがそれら様々な国の言語で話しだし、周りの人々が自分の故郷の言葉を聞いて驚いたのです。

これは聖霊が降る時に何が起こるかを示しています。それは異なる言語を話す人々が言語の壁を越えて理解し合う道が開かれるということです。言語に代表される様々な違いを持つ人々が他を否定するのではなく、共に生きる可能性が開かれるということです。それは、異なる人々が共に生きることが不可能に見えるこの世界にも、理解し合う道、一緒に歩む道があるということです。

イエスは地上での最後の夜にこう祈られました。「父よ、…すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)。違った人々が対立し分裂するのではなく一つになるように、受け入れ合って仲間として一緒に歩いていくことができるように、イエスはそう祈られたのです。

イエスの霊である聖霊が降った時、使徒たちがほかの国々の言葉で話しだしたというのは、彼らがこの祈りを生きる群れとして歩み始めたということです。自分とは違う他者と対立するのではなく、違いを喜び、学び合い、支え合いながら生きる道、その道をこの世界の中であえて選び取って歩んでいく、使徒たちは聖霊によってそういう新しい生き方へと招かれたのです。

教会とはこのペンテコステの出来事を出発点として始められた共同体です。教会はこの分裂に満ちた世界の中で、違いを持つ人々が共存する道を模索していく群れ、そのような現実を少しずつでも生きようとする群れなのです。 

世界に広がる教会はもちろんですが、私たちの属する地域の教会にもいろいろな人が集まってきます。ときにはタイプの違う人たちが理解し合えずに対立することもあるでしょう。そのようなとき、私たちは思い出したいのです。私たちが歩むキリストの道というのは、そこで諦めて相手を否定する道ではなく、自分とは異なる言語に耳を傾け、それを少しでも理解しようとする道であることを。そこから、違ったままで様々な人たちとハーモニーをつくる一人になっていく道だということを。イエスの霊である聖霊の力が、日々そのような道を選び、歩もうとする私たちを励まし支えていることを、私たちは忘れずにいたいと思います