「口で公に言い表す」

              ローマの信徒への手紙10513

                                                                                                     水田 雅敏

 

皆さんは誰かのことをすごく大切に思ったことがあるでしょうか。そして、そのことを打ち明けたことがあるでしょうか。

大切な人は友だちかもしれません。お母さんやお父さんかもしれません。先生かもしれません。そして、恋人にしたいと思う人かもしれません。

「あなたと友だちで嬉しい」とか、「お母さん、大好き」とか、「先生のこと、尊敬しています」とか、「あなたを愛しています」とか、口に出したことはあるでしょうか。

でも、それってなかなか言えませんね。

「あなたは私にとって大切な人」と思い切って言いたくなるような人とは、そう簡単に巡り合えるわけではありません。そして、もし、そんな人に出会っても、すぐにそう思えるようになるわけでもありません。

あの友だちとは特に仲がいいわけでもなかったけど、今ではかけがえのない親友ということもあります。何だか気にさわる人がいて、その人のことがいつも気になっていたけど、ある日、突然、それは自分がその人が好きだからなんだ、と気づくこともあります。

そんなふうに、「あの人は、自分にとって大切な人」と気づいて自分の心の中でつぶやいても、今度はなかなかそれを口に出して言うことができません。

どうしてでしょう。

恥ずかしいからでしょうか。照れくさいからでしょうか。恐いからでしょうか。

口に出して言う、告白するのが恐いのは、もしかしたら、そうすることで、その人との関係がこれまでとは違ったものになってしまうからなのかもしれません。

「あなたは大切な人」と言ったことによって、これまで以上にその人との関係が深く強くなり、もはや離れられなくなるかもしれません。

でも、告白したことで、かえって、その人との関係が難しくなり、これまでのように気楽な関係ではなくなったりするかもしれません。

告白するとは、その相手と、これまでの関係ではなく、新しい関係になることなのです。

そして、一度言葉にして伝えてしまったら、それは取り消すことはできません。「あれは冗談さ」なんて誤魔化すことはできても、そう言ったという事実は消すことはできません。口にしたら、もう後戻りはできないのです。

そう思うと、告白するのはとても重たいこと、責任のあることですね。

ところで、もしも、あなたがとても大切に思っている人のほうから、「あなたは私の大切な人だ」と告白されたらどうでしょう。

すごく嬉しいでしょうか。ジーンときちゃうでしょうか。

さて、皆さんにとってイエスさまはどんな方でしょうか。

すごく大切な方でしょうか。それほどでもないでしょうか。

今はイエスさまのことをいろいろ聞いていても、「ふーん」って感じで、そんなに大切には思えないかもしれません。でも、もしかしたら、いつか、「ああ、そうか。私にとってイエスさまはかけがえのない大切な方なんだ」とハッと気づく時があるかもしれません。そして、そのことを思い切って口にして、「イエスさまが大好き」と告白するようになるかもしれません。

 

その時、あなたのことを大切に大切に思っていたイエスさまは、きっとジーンとするくらい、とっても喜んでくださると思います。