「聞いて信じる信仰」

                     ヨハネによる福音書44354

                                                  水田 雅敏 

 

前回、私たちは主イエスがサマリア地方で一人の女に出会い、その出会いをきっかけにしてサマリア地方に福音が広まった記事を読みました。

主イエスはそのあとガリラヤへ行かれます。

今日の聖書の43節から44節にこうあります。「二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある。」

「預言者は自分の故郷では敬われない」。これは一般に語られていた一種のことわざ、言い回しのようなものです。故郷ではその人がどういう人であるか、小さい頃はどういうふうであったか全て知られている、そのことがかえってその人の真価を見抜く妨げになるということです。

主イエスの場合もそうであったということが他の福音書にも伝えられています。例えば、マルコによる福音書の6章の1節から4節にこう記されています。「イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。『この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。』このように、人々はイエスに躓いた。イエスは、『預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである』と言われた。」

ところが、ヨハネによる福音書は他の福音書と同じように、「預言者は故郷では敬われない」という言葉を記しながら、次のように続けるのですす。今日の聖書の45節にこうあります。「ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。」

これは一見すると、その前の言葉とも他の福音書が述べていることとも矛盾するように思えます。しかし、実際には同じことを示しています。

「彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである」とあります。

ガリラヤの人たちの歓迎は表面的なものだったのです。彼らは過越祭の間に主イエスがエルサレムでなさった数々の奇跡を見ており、「ぜひ、そのような奇跡を自分たちの故郷でもやってほしい」という期待を込めて歓迎したのです。

ですから、主イエスご自身はそのような歓迎を受けても決して有頂天にはなりませんでしたし、かえってそれを冷ややかにご覧になったのです。

このガリラヤの人たちの反応はこれまでのサマリアにおけるサマリア人たちの反応と対照的です。

4章の39節にはこう記されていました。「さて、その町の多くのサマリア人は…女の言葉によって、イエスを信じた」。また、41節には「更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた」と記されていました。さらに、42節には「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです」と記されていました。

ユダヤ人から見ればサマリア人の信仰というのは亜流です。ユダヤ人たちは自分たちこそ信仰の本家本元だと思っています。ところが、その本家本元のはずのユダヤ人が、エルサレムにしろガリラヤにしろ「奇跡を見て」信じる信仰に陥っているのに、亜流のはずのサマリア人は「聞いて」信じる信仰をしっかりと持っていたのです。

そこで今日の物語に入りますが、ここでもやはり、見て信じる信仰から聞いて信じる信仰へということがテーマになっています。

舞台はガリラヤのカナです。主イエスがそこに滞在しておられた時、主がカナに来ておられるということを伝え聞いて、一人の王の役人がわざわざカファルナウムの町から訪ねてきました。カファルナウムからカナまでは直線距離で約30キロあります。その道のりを越えて主イエスに会いにやって来たのです。彼の息子が死にかけるほどの病気であったからです。

王の役人は「どうか、カファルナウムまで来て、息子を癒してください」と主イエスに訴えました。しかし、主イエスはそれを聞いて、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」とつれない反応をされました。しかし、王の役人は諦めません。「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と食い下がります。

ひと言、冷たい言葉をかけられたからといって、「はい、そうですか」というわけにはいきません。あるいはここで切れてしまって、「わたしをいったい誰だと思っているのだ。王の役人だぞ。そんな口の利き方があるか。無理やりにでも引っ張ってやる」というわけにもいきません。とにかく、「お願いします。あなただけが頼りです」と頼み込むのです。

その熱意に負けたのか、あるいは彼の中に信仰のかけらを見て取られたのか、主イエスは次の言葉をかけられます。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」

この言葉は王の役人を戸惑わせたと思います。彼が願ったことは主イエスを連れて帰って癒していただくことでした。しかし、そのことは拒否されました。けれども、全く拒否されたのではなくて、主イエスは「あなたの息子は生きる」と言われました。つまり、彼はこの時、主イエスの言葉だけを聞いて、それを信じるかどうかを問われたのです。

彼は、「いや、あなたをお連れするまでは信用するわけにはいきません」と言うこともできましたし、「ちょっとお待ちください。使いの者を寄こして、本当に癒されたかどうか確かめさせますから」と言うこともできました。しかし、彼はこの時、見ないで信じる信仰へと導かれていきました。彼は主イエスの言われた言葉を信じて帰って行ったのです。

ヘブライ人への手紙の11章の1節にこういう言葉が記されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

王の役人はこの時まさに「望んでいる事柄を確信し」、まだ「見えない事実を確認」して、帰って行ったのです。

そして、帰って行く途中で息子の病気が良くなったことを知らされました。そして、その時刻を尋ねると、主イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻でした。

ここで大事なことは、王の役人は奇跡を見て信じたのではなくて、見ないまま主イエスの言葉を聞いて信じた、その結果として奇跡が与えられたということです。

あのカナでの婚礼の時もそうでした。マリアは主イエスがまだ何もされていない時に、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いました。彼女は見ないまま信じたのです。そして、その結果として、水がぶどう酒に変えられるという奇跡が起こりました。

信仰と奇跡というのはそういう関係にあります。信仰をもって見て初めて、奇跡は意味を持ってきます。もしも信仰をもって見なければ、奇跡を奇跡として見抜くことすらできないかもしれません。

王の役人もこの出来事を「単なる偶然」と見ることもできたわけですが、彼は見ないで信じた結果、それを奇跡として見ることができたのです。

この王の役人の息子は、その時は元気になりましたが、当然いつかは死んでいきます。そのことからすれば、この時の奇跡というのは一時的なものでした。奇跡とは多かれ少なかれそういうものです。いずれは誰もが死ぬのです。私たちも死ぬのです。ですから、私たちにとって最も大事なことはそのような奇跡そのものではありません。

王の役人は、主イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたその言葉を、ひたすら胸に抱いて帰りました。この主の言葉こそ、息子の肉体的な命と死を超えたところで真実なものとして残るものです。私たちが主イエスの言葉を聞いて信じるという時にも、やはりそのレベルでこそ深い意味を持ってきます。

53節に「そして、彼もその家族もこぞって信じた」と記されています。

結果として家族全体に信仰の輪が広がったことのほうが、実は深い意味を持つのではないでしょうか。

 

私たちは、奇跡に頼るのではなく、主の言葉を聞いて信じる信仰、そして、そこに示される神の真実に、心を留めて歩んでいきたい、歩み続けていきたいと思います。