「イエスは生きておられる」

                       ルカによる福音書241335

                                                   水田 雅敏 

 

イースター、おめでとうございます。神の祝福が皆さんにありますように。

今日の聖書の箇所はエマオへの途上の物語としてイースターの期節に繰り返し読まれる所です。

この物語はマルコによる福音書にも記されているのですが、ルカによる福音書では絵画のような物語として描かれています。それは「光」が大切なモチーフとなっているからだと思います。

ここには二人の弟子たちが登場していますが、弟子といっても十二弟子ではありません。当時、主イエスの周りには十二人のほかにも主に従う人が大勢いて、そのうちの二人がエルサレムからエマオという町に向かって歩んでいたのです。

エルサレムからエマオまでは60スタディオン離れているということですから、11キロほどの道のりです。このエルサレムからエマオへ向かう道は、地図を見ると東から西へ向かっています。二人の弟子たちは今、西のほうに向かって歩いているのです。時は夕暮れです。ですから、西に沈む太陽に向かって歩いていることになります。

しかし、その歩みは明るく希望に満ちたものではありませんでした。

すると、そこに一人の旅人が現れて、彼らと一緒に歩き始めました。

その旅人から声をかけられた時に、17節ですが、「二人は暗い顔をして立ち止まった」とあります。悲しそうな顔をしていたのです。

けれども、この物語をずっと読んでいくと、彼らは主イエスが復活した出来事を既に知っていました。

21節にこうあります。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。」

二人の弟子たちは彼らの悲しみの原因である主イエスの死という体験が「イエスは生きておられる」という天使たちのメッセージによって打ち壊されていることを知っているのです。それにもかかわらず、彼らはエルサレムからエマオに向かって、都落ちをするように肩を落とし暗い顔で歩いているのです。

なぜでしょうか。

彼らは「イエスは生きておられる」というメッセージを頭でしか理解できなかったからだと思います。

復活ということについての知識は私たちもそれなりに持っています。使徒信条でも「主は…三日目に死人のうちによみがえり」と告白しますし、賛美歌でも主イエスの復活を歌います。けれども、知識として理解していることと私たちの現実の生活との間にはギャップがあります。ですから、「イエスは生きておられる」ということが知識であったり観念であったりする時には、それは私たちにとっては悲しみです。福音を知識としてしか受けとらないところには悲しみが生まれるのです。

では、そういう悲しみが喜びへと変えられることはあるのでしょうか。

物語を読み進めていくと、二人の弟子たちが旅人と共に食卓に着く場面が出てきます。その時に彼らの目が開けて、それが復活のイエスであることが分かったと書かれています。

30節から31節にこうあります。「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かった」。

知識ではなくて、復活のイエスとの具体的な出会いの中で、二人の弟子たちは目が開かれます。食卓を共にするという出会いの中で、彼らの悲しみが喜びに変えられたのです。

私たちはしばしば信仰を知識として理解しようとします。もちろん、正しい信仰の理解ということから考えれば、知識は大事です。それをおろそかにしてはならないと思います。しかし、信仰というのは私たちと私たちを超えたものとの出会いの経験なのだということをここから教えられます。

その時、私たちはどのようにしてその方に出会ったらいいのかと自ら探し求めようとします。しかし、ここでルカによる福音書が語っているもう一つの大切なことは、私たちが探し求めてどこかへ出かけて行く前に、復活のイエスの側から私たちに寄り添って歩んでおられるということです。探し求めるという私たちの業に対して、むしろ復活のイエスの側が積極的に私たちに伴っておられるということです。ですから、私たちがどんなに不信仰な状態にあっても、復活のイエスは私たちと共に歩んでくださいます。

二人の弟子たちも不信仰でした。

25節には「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」という復活のイエスの嘆きの言葉が記されています。

不信仰であればこそ、私たちはどこに何を求めたらよいのかとますますさ迷うわけですが、その不信仰にもかかわらず、そのさ迷う中で、主イエスご自身が私たちに伴ってくださるということ、それがまさにエマオへの旅なのです。

ここである話をご紹介します。それはレーンさんというアメリカ人夫妻の話です。二人とも北海道大学で英語の先生をしておられた方です。

このレーン夫妻が1941年の128日の早朝に札幌の拘置所に入れられました。妻のポーリンさんは女性の囚人として約二年間、刑務所住まいをするのですが、逮捕された日から半年ほどあとにホーリネスの牧師たちが刑務所に入れられるという事件が起こります。そこに内田ヒデという牧師がいました。その時がポーリンさんとヒデさんとの初めての出会いでした。

レーン夫妻には天使病院やフランシスコ修道会によって慰問品が届けられていました。ほかの人たちが、米粒が三つか四つしか入っていないような薄いお粥を食べている時に、レーン夫妻もそうだったのですが、レーン夫妻は自分たちのために送られてきたチーズを切って、皆で分け合ったのです。それはとても小さいもので5ミリ四方ぐらいのものでした。

その時のことをヒデさんは手記にこう書いています。「私たちはここでイエスさまに出会いました」。もちろん、レーン夫妻はイエスさまだということではありません。共にチーズに与る中で、その場に主イエスがおられることが分かったのです。ヒデさんは「私にとってこの聖餐式は一生涯、忘れることのできない唯一の聖餐式である」と書いています。

二人の弟子たちは見知らぬ旅人と一緒に食卓について、それが復活のイエスであることが分かった時、喜びに満ちて60スタディオンの道を引き返しました。エルサレムの仲間のところに行って「われわれは復活のイエスに出会った」という報告をするためです。この聖書が語る真実を、それから二千年の時を経て体験する人たちがあったのです。

このことは私たちの日常においても変わりはありません。私たちはレーン夫妻と同じような苦難を経験しているわけではないかもしれません。しかし、考えてみると、私たちはそれぞれの生活の困難さを抱えています。私たちはそのような人々の中で復活のイエスとの出会いを経験するのです。

信仰というのは一人で信じればよいと思っておられる方があるかもしれません。信仰というのは私自身の問題だと思っておられる方があるかもしれません。しかし、信仰と交わりが切っても切れない関係にあるのは、こういった理由からです。その交わりの中で、私たちは繰り返し繰り返し、復活のイエスとの出会いを経験していくのです。

 

エマオへの途上で輝いたあの西の光は、私たちの日々の生活をも照らしていることを、今日、覚えたいと思います。