「主に従うことは」

                 列王記上1821

                                 水田 雅敏

 

私たちはこのあとに『こどもさんびか』の119番を歌います。これは大人の人たちが使う『讃美歌21』の507番にもあって、昔から多くの人たちに愛されてきた賛美歌です。

その歌詞の1節と2節を見るとこうあります。「主にしたがうことは なんとうれしいこと」「主にしたがうことは なんという幸せ」。

私たちが主なる神さま、イエスさまに従って歩むことが嬉しいこと、幸せなことだと思えるとしたら何と素晴らしいことでしょう。

でも、神さま、イエスさまに従って歩むことがいつもいつも嬉しいことばかりだとは限りません。

神さまの言葉を伝える働きをした預言者のエリヤもそうでした。本当に神さまの力を信じ、従って歩むことができるのか、神さまはエリヤをたった一人でバアルの預言者450人と対決させられました。

その時代に悪いことばかりをしていた王のアハブは450人ものバアルの預言者をカルメル山に集めてエリヤと対決させます。そこにはバアルと主なる神さま両方の祭壇が置かれていました。この対決でバアルと主なる神さまのどちらがまことの神さまであるのかを決めようというのです。対決の方法はそれぞれの祭壇に雄牛を献げて、天から火が下されるように、それぞれの神さまにお祈りするというものでした。

この時、エリヤはイスラエルの人々にどっちつかずに迷わないで、バアルか主なる神さまか、信じる神さまに従うように呼びかけました。でも、どちらの預言者が勝つのか様子を見ている人たちは何も答えず、高みの見物をしていました。

いよいよ対決が始まりました。まず、バアルの預言者たちは朝から昼過ぎまでバアルの名前を呼んで跳び回り叫び続けますが何も起こりません。一方、預言者エリヤは壊された祭壇を直し、主なる神さまにお祈りしました。するとどうでしょう、激しい光がきらめくという出来事が起こります。エリヤはたった一人で対決に勝利したのです。

これを見た人々は主なる神さまこそ本当の神さまですと言ってエリヤの勝利を喜びました。

でも、この話を読みながら私は思います。それは、対決に勝ったかどうかを見てから勝ったほうの神さまを信じる人になるのではなくて、たった一人でも神さまの力を信じて450人の預言者たちと対決したエリヤのように、いつも神さまが私たちを守り導いてくださることを信じる人になることの大切さです。

私たちはエリヤを守り導かれた神さまが今も生きて働いて私たちを守り導いてくださっていることを忘れずにいたいと思います。

はじめに、讃美歌の「主にしたがうことは」の1節、2節の歌詞をご一緒に読みました。それに続いて3節にはこうあります。「主にしたがうことは なんと心強い。」

 

私たちは、イエスさまに従って歩むことの嬉しさと同じくらいに、イエスさまに従って歩むことの心強さも持ちたいと思います。