「互いに愛し合いなさい」

              ヨハネによる福音書151117

                                   水田 雅敏

 

先ほど読んでいただいた聖書の箇所には、イエスさまが十字架にかかる前に、「みんなにこれだけは言っておかなくちゃいけない」と思って話された大切な言葉が書かれています。

「聖書の言葉はもちろんどれも大切だけれど、特にこのことを聞いてください」ってイエスさまは言われました。

イエスさまは弟子たちにこうおっしゃいました。「わたしはあなたがたのことを『友』と呼びます」。

「わたしはあなたがたのことを『友』と呼びます。だから、わたしは友であるあなたがたのために命をも捨てます。人々に捕まえられて、痛くて苦しいことも受けて、十字架につけられる時が、もうすぐ来るけれど、それはあなたがたのことがとっても大切だからです。このことを覚えておいてほしい」とイエスさまはお話しになりました。

友、友だちって何でしょうか。友だちって自分によいことをしてくれる人でしょうか。ゲームや漫画を貸してくれる人でしょうか。貸してくれなかったら友達じゃないのでしょうか。

イエスさまは弟子たちが自分によいことをたくさんしてくれたから「あなたがたのことを『友』と呼ぶよ」とおっしゃったのでしょうか。

そうではありません。イエスさまは「あなたがたがこれだけのことをしてくれたから友だちになってあげますよ」とは言っていません。何もできない私たちに、イエスさまの方から「友だちになるよ」って言ってくださったのです。

イエスさまの言葉は、弟子たちだけじゃなくて、今、ここにいるみんなに向けられた言葉でもあります。イエスさまはみんなのことを大切に愛してくださいます。弟子たちと同じように愛してくださいます。

ただ一つ、イエスさまは私たちに「このことを守りなさい」と言われました。それは、イエスさまが私たちのことを愛してくださったように、私たちもお互いに愛し合うということです。そうしたら、イエスさまは、みんなのことを「友」と呼んで、いつも一緒にいると約束してくださいました。

ところで、みんなは、『友だちになるために』という歌を知っているでしょうか。新沢としひこさんという人が作詞をして、中川ひろたかさんという人が作曲をした童謡です。

一番はこんな歌詞で始まります。「ともだちになるために 人は出会うんだよ。どこのどんな人ともきっとわかりあえるさ」。

二番はこんな歌詞です。「ともだちになるために 人は出会うんだよ。ひとりさみしいことがだれにでもあるから」。

どこのどんな人とも手を繋いで、一緒に歩んでいけたらいいなあっていうのです。

 

イエスさまに愛されている私たちもまた、寂しい思いをしている誰かの友だちになれたらいいなあって思います。