「サウロからパウロへ」

                         使徒言行録9章1~9節

                                                                                                             水田 雅敏

 

今日は「サウロからパウロへ」というお話です。

「サウロ」というのも「パウロ」というのも人の名前です。それも同じ人の二つの名前です。

昔、「サウロ」と呼ばれていた人が、あとで「パウロ」と呼ばれるようになりました。「サウロ」と「パウロ」、二つの名前は一文字しか違いません。「サ」が「パ」に替っただけです。あんまり大きな違いではないようにも思えます。でも、このちょっとした違いがとっても大きな違いなのです。今日は、このちょっとした違い、でも本当はとっても大きく違う二つの名前を持っていた人のことをお話しします。

サウロさんは小さな頃から神さまを信じていました。「大きくなったら世界中の人に神さまのことを伝える人になりたい」と思っていました。

やがてサウロさんは、もっと神さまのことをよく知るために、生まれた町を離れ、遠くエルサレムという町に行き、そこで偉い先生の弟子になって勉強することになりました。サウロさんは毎日毎日、一生懸命に神さまのことを勉強しました。何年も何年も頑張りました。

そうして、とうとう神さまのことをみんなに教える時がやって来たのです。サウロさんは喜びました。「さあ、これでやっと、みんなに神さまのことを伝えることができる。世界中、いろいろな所に出かけて行こう」。

ところが、そんなふうに考えていた頃のこと、ある日、サウロさんはクリスチャンという不思議な人たちについての話を聞いたのです。

サウロさんの仲間たちはクリスチャンをとても嫌っていました。なぜかというと、クリスチャンたちは神さまについてデタラメなことばかり言っていたからです。クリスチャンの人たちはこう言いました。「神さまはどんな人でも愛してくださる。神さまはどんなに悪い人でも赦してくださる。神さまはそのことを神さまの子供であるイエスさまを通して教えてくださった」。

「なんてひどいデタラメを言うやつらだろう」とサウロさんは思いました。何年も何年も偉い先生の所で勉強したサウロさんは、神さまのことなら何でも知っていました。神さまは悪いことや悪い人を嫌う方です。人のものを盗ったり、人を傷つけたり、人をいじめたりすることを神さまはお赦しになりません。もしも私たちが悪いことをした時には、心の底から反省して一生懸命に謝らなければ、神さまは決して赦してくれないはずです。それにイエスなんていう名前の神さまの子供がいるなんて聞いたこともありません。

サウロさんはこんなにデタラメなことばかり言っているクリスチャンたちを許せなくなりました。そこでクリスチャンの人たちを捕まえては牢屋に入れました。デタラメなことを言っているクリスチャンの人たちに、本当の神さまの話を何時間も聞かせてやりました。

でも、その人たちはなかなかサウロさんの教える神さまの話を聞こうとしません。サウロさんがせっかく何時間もかけて話したのに、クリスチャンの人たちは「やっぱりイエスさまの教えてくれた神さまのほうがいい」と言うのです。

サウロさんは怒って、「そんな訳の分からないことを言っていると、ずっと牢屋の中に閉じ込めてしまうぞ」とか、「そんなでたらめを信じていると、ムチでビンビン打ってやるぞ」と言って脅しました。

そんなある日のこと、サウロさんは遠いダマスコという町にいるクリスチャンたちを捕まえるために、エルサレムの町を出発して旅に出ました。ところが、その町の近くまでやって来た時、突然、強く輝く光がサウロさんの周りを照らしました。あんまり眩しくて、とても目を開けていられなくなったサウロさんに、こんな声が聞こえてきました。「サウロ、サウロ、なぜわたしをいじめるのか」。サウロさんは目をつむったまま答えました。「あなたは誰ですか」。「わたしはイエス。クリスチャンたちが信じているイエス」。声が答えました。サウロさんは驚きました。「それではイエスさまが神さまの子供だというのは本当のことだったのか」と思いました。

やがてその声は聞こえなくなりました。光も消えました。でも、その時からサウロさんの心は大きく変わったのです。それまでのサウロさんは、自分が今まで勉強してきた神さまのことをみんなに教えてやろうと思っていました。誰よりも、自分が一番、神さまのことを知っていると思っていました。皆を捕まえてでも自分が勉強した神さまを正しく教えなければならないと思っていました。でも、それからのサウロさんは変わりました。サウロさんはクリスチャンたちの言うように、全く新しい神さまと、その神さまの子供であるイエスさまを信じるようになったのです。

サウロさんがパウロと呼ばれるようになったのはこの出来事のあとのことです。

パウロになったサウロさんも、やっぱり神さまのことを世界中の人たちに伝えたいと思いました。その願いは変わりません。でも、その伝え方がサウロの時と大きく変わりました。昔のサウロは人を牢屋に入れたり脅したりしてでも、自分の知っている神さまを人に教えようとしました。でも、みんなはそんなサウロの教える神さまを信じませんでした。

今度は神さまのことを話したために、パウロさんは自分が牢屋に入れられたりバカにされたりするようになりました。すると不思議なことに、みんなは、そんなにひどい目に遭ってまでパウロさんが伝えようとしている神さまとかイエスさまってどういう方なのだろうと、自分たちからパウロさんのところにやって来て、話しを聞いて信じるようになったのです。こうして大勢の人がイエスさまのことを知るようになり、クリスチャンになっていったのです。

 

サウロとパウロ。名前は一文字しか違いません。ちょっとした違い。でも、本当はとっても大きな違いを持った名前。この二つの名前を持った一人の人のことを、ぜひ、みんなにも覚えていてほしいと思います。