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「教会に生きる」
詩編84篇
水田 雅敏
今、私たちは創立記念日・永眠者記念礼拝を献げています。
私たちの教会は1899年にM.B.マデン宣教師が仙台で伝道を開始してから123年を数えます。
マデン宣教師は1895年にアメリカより来日し、日本語研修を経たあと、ミッション本部の方針により福島駐在の宣教師として二年後に東北に赴きます。
マデン宣教師は福島伝道を進め、1897年に福島教会の創立へと至るかたわら、仙台に伝道の拠点を模索していました。
マデン宣教師は1898年の7月に福島から仙台に住まいを移すと、9月に仙台講義所を設立します。9月22日が私たちの教会の創立月日と伝えられてきたのはこの日が宮城県庁届出許可の日付であったからです。
創立100周年記念として発行された『仙台川平教会史』にはマデン宣教師の次のような報告が書かれています。「私は仙台に着任すると、すぐ本町通りに講義所を開設した。夜の集会には平均100名以上、時には400名も集まったことがある。聖書や本も多数販売した。定時の集会のほか日曜学校もある。」
こうした教会の『教会史』を読んでみますと、私たちの教会の歴史は神の恵みの歴史であるということを改めて思います。私たちの教会は神の許しなしには始まることができませんでしたし、存続することができませんでした。いかにそこに神の恵みが注がれ続けたかということが表われています。
そして、それは同時に、そこへ呼び集められた人たちの神の恵みへの応答の歴史でもあります。そこには牧師、信徒、様々な人たちの信仰が息づいています。教会に生きた人々、教会に生きる人々がその担い手です。
教会とは不思議なところです。それはひと言で言えばイエス・キリストによって召し集められた人たちの共同体です。最初に神の意志があり、イエス・キリストの意志があるのです。その神の意志、イエス・キリストの意志に応答した人たち、それがクリスチャンです。ここに覚えられている多くの人々はそれぞれにイエス・キリストとの不思議な出会いがあったのです。そして、共に教会を形づくっていきました。教会に生きるようになったのです。
それでは教会に生きるとはどういうことでしょうか。
日本キリスト教団出版局から『教会に生きる』という本が出ています。楠本史郎という牧師が書いた本です。これは婦人会の学びで用いた本でもありますが、改めてこの本を読んでみますと、教会生活の基本について最も必要なことが実にコンパクトに、しかも網羅的に書かれています。
今日、私たちに与えられた聖書の個所は詩編の84篇ですが、教会に生きるとはどういうことかをよく表しています。
5節にこうあります。この言葉は『教会に生きる』という本にも出てきます。「いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。」
この詩編の84篇は元来、エルサレム神殿を詣でる時に作られた歌のようです。
詩人はこのように始めます。2節から3節にこうあります。「万軍の主よ、あなたのいますところは どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。」
この詩人は地方の異教の町からエルサレムへやって来ました。エルサレム神殿を見て、深い喜びに満たされているのです。
私たちの状況に置き換えてみれば、教会で礼拝する喜びを歌っていると言ってもよいかもしれません。
ただ、毎週毎週、礼拝に来ていますと、それが当たり前のことになって、その感動も薄れてくることもあるかもしれません。しかし、礼拝に行きたいのに病気や家族や仕事の都合によって教会に来られなくなった方が礼拝に出ることができた喜びは、まさにこういうものではないかと思います。
「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。」これはすごい言葉だと思います。礼拝というのは、そこで神と向き合う場所と時間であることを思えば、本当はいつもそれくらいの感動があってしかるべきなのだろうと思います。
もっとも、言葉には出さなくても、そのような思いをもって礼拝に出ておられる方もあるでしょう。あるいはどこかへ引越したり、旅行に行ったりして、教会を訪ねることができた時、この詩人の思いを実感することができるのではないでしょうか。
先ほど紹介しました『教会に生きる』という本の中で楠本牧師はこんなことを言っています。「年配の人は、主の日の礼拝に出席するために一週間の生活を調整しています。年をとれば、突然『明日、教会に行こう』と思い立っても、そう急に体が動くものではありません。何日も前から主の日に備えて体調を整えます。リズムを作っていきます。そうして教会に来ているのです。礼拝に出席するために時間をかけ、努力しています。だから礼拝への姿勢がちがいます。一週間の生活の中心に礼拝を置いていることがよく分かります。」
私はこれを読みながら、私たちの教会にもそういう方は何人もいるだろうと思いました。それぞれが礼拝に出席するために時間をかけ努力しているのです。
詩人はこうも言います。11節にこうあります。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。」
先ほど言いましたように、この詩人は地方の異教の町に、しかし信仰をもって住んでいるのでしょう。だからこそ、この礼拝する場所がいかに大事な場であるかをよく知っているのです。
それはキリスト者が極端に少ない日本に住んでいる私たちにとっても同じではないでしょうか。教会にいる一日は外にいる千日にもまさる恵みです。どうしてでしょうか。それは主イエスが共におられることを身近に感じることができるからです。そしてまた、ここで信仰の友とまみえることができるからです。
ここに覚えられている多くの人々はそのような恵みと喜びに生きた人たちです。もちろん、これらの人たちも様々な悩みや苦しみや悲しみがあったに違いありません。しかし、そのような試練の中にあっても、主イエスが共にいて、支え、励まし、導いてくださいました。その恵みと喜びがこれらの人たちを生かしてきたのです。教会に生きるとはそういうことです。
仙台川平教会の123年の歩みの中で一人一人が教会を思い、祈り、学び、自分に与えられている賜物を精一杯献げてきました。それが教会を形づくってきました。私たちも信仰の先達のよき模範に倣い、主イエスと共に喜びをもって歩んでいきたいと思います。
仙台川平教会の歴史は今日から新たに積み重ねられていきます。ここにまだ洗礼を受けておられない方がいらっしゃるならば、ぜひ私たちの教会の歩みに加わっていただきたいと思います。
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